【人事の読書記録】「いのちへの礼儀」生田 武志

私たちの多くは、普段から肉を食べて生活している。つまり、私たちが食べるために、多くの動物の命が奪われている。大人なら誰でも知っていることだ。

けれど、本当に「知っている」のだろうか。本書はそう問いかけるような本だったと感じた。勘違いしないでいただきたいが、決して肉食を否定するものではない。ただ、「動物」との向き合い方について考えたい。

ペットと家畜は何がちがうのか

犬や猫を公に傷付けたり殺したりすれば、今の世の中では間違いなく批判にさらされる。SNSで炎上し、誹謗中傷を受けるのは想像に難くない。

では家畜に関してはどうなのか。牛や豚や鶏は日々大量に傷付けられ、殺されている。しかし、それについて声を挙げる人は、いないわけではないが、多くはない。

そもそも日本の歴史の中では、「殺して食べるために育てる」という習慣は根付いてこなかった。このあたりのことは本書に詳述されている。日本に肉食が文化として根付いたのは明治時代に入ってからで、現代でもなお、日本人の多くは「屠殺」という現実をタブー視している。

歴史の浅い日本の肉食文化において、早々に畜産が巨大化、工業化した。そのせいで、私たちにとって命のやり取りはどこか遠いものであるのかもしれない。

ただ、鶏が一羽あたりA4用紙1枚分もないスペースで飼育されたり、牛が急激に肥大させるための飼育法によって健康を損なっているのは、事実だ。

日本人の約2割は、鶏は4本足の生き物だと思っているというような話も本書にはあった。過激な表現かもしれないが、私たちにとって、家畜はもはや「生き物」ではなく、「食べ物」なのかもしれない。
改めて、ペットと家畜は何がちがうのだろうか。

いのちを管理する権利

畜産を例に挙げたが、他にもある。

例えば、生物医学研究における動物実験の失敗率は約92%という数値が、本書の中で示されている。なかなか衝撃的な値だ。それでも人類の進歩のために、必要な犠牲なのだろうか。そもそも、その犠牲を動物に払わせる権利が人間にはあるのかは分からない。

人間が動物の「生」を管理することが許される理由があるだろうか。

知能が劣っているから?

たしかに一般的な意味での知能は、ほとんどの場合人間が勝っているだろう。けれどもそれが管理し、殺していい理由にはならないだろう。それが許されるなら、人間でも知能が劣っていれば同じような扱いをしていいことになる。それを許容できる人はいないはずだ。

違う種だから?

これも理由としては不適当だ。種の間に明確な上下関係をつくる理由は存在しない。

生きるために仕方がない?

人間は肉を食べなくても生きていける。ましてや生産効率を追い求め、動物の苦しみをわきに置いて、畜産を工業化させていったのは、明らかに人間の都合だ。そこまでしていい理由とは思えない。

明確な理由は私には思いつかないが、事実として今、人間は動物を管理している。管理という言葉は意味が広いが、動物に苦痛を与えている場合が多いことも確かだ。

少し話が飛躍するかもしれないが、私たち自身も工業化している。大規模な社会システムの中に組み込まれ、会社に使用される。そんな生活の中で、苦痛は感じないが知らず知らずのうちに人間の本能や、尊厳を奪われている。

私たちには、動物はおろか人間とさえも、心を通わせ、お互いを尊重するという機会が減っているのかもしれないと感じた。

動物との向き合いかた

私はこの本を読んでベジタリアンになったわけではない。肉食そのものを否定するわけでもない。工業化した畜産も現代社会を支えるうえで、頭ごなしに否定するのも違うと思う。

ただ、そこに動物への尊重や敬意があるのかは、考え直す必要がある。

尊重することと、殺して食べること。それらは、必ずしも矛盾するものではないのかもしれない。

では家畜を殺し、肉を食べる私たちは、どのように動物と向き合えばいいのか。

「感謝をする」というのはよく聞くように思う。私たちの糧になってくれる動物に感謝をする。聞こえはいいが、私にはあまりしっくりこない。おそらく、多くの場合その感謝にどこか「薄っぺらさ」を感じてしまうからなのだと思う。

感謝をする前に、「目を背けずに、知ること」が大切なのではないだろうか。冒頭にも書いたが、日本では屠殺は忌避されることが多い。私はいろいろあって人生で二度、屠殺場を見学したことがある。もちろん、楽しいところではない。けれど、一度見るべき場所でもあると思う。

現実を知ったうえで、どのように行動するかは個人が決めればいい。ただ、知らないし、知ろうともしないというのは、良いとも思えない。昨今、人間社会でも多様性の尊重が謳われる。多様性の第一歩は、まずお互いを知ることだと思う。知らなければ、尊重することはできない。それは動物でも同じことだ。

「知る」ということはとても、意義深いことだ。最近好きな作家さんの言葉で、「世界は、見ようとする者にしか、見えない」というものがある。自分自身も、まずは「見ようとする」ことから始めてみようと思った。

おわり

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