この記事では私が数年前に心を病んだときのことを書きます。そんなもの見たくないわという方はすぐに引き返してください。
けど、この記事は今猛烈に働いて、仕事に喜びを見出してる人には是非読んで欲しいなと思います。
そして、ちょっと冷静に周りを見るきっかけになったら嬉しいです。
あと、単純に自分にとってとても大切な体験だったから(しんどかったけど)、風化させないためにも文章で残しておこうと思いました。
ついでに少しでもどなたかの役に立てたらなんて思っております。
思いつくがままに書くので、まとまりが無いプラス長い文章かもしれませんが、お時間のある方は読んでやってください。(一応匿名でやっているので、細かいところは若干ボカしています)
社会人5年目まで
大学を卒業した私は、ある中堅企業に入社しました。正社員数は600人ぐらい。業種とかは伏せさせてください。
1年目2年目ぐらいは、特別仕事に高いモチベーションがあったわけでもありませんでした。
人事評価でいえば5段階の4ぐらいで、決して行き詰まったりもしないけれど、飛び抜けていたわけでもない、どこにでもいる新入社員でした。
3年目の時、上司(Aさんとします)が変わりました。Aさんに出会って、大げさでなく私の仕事観が変わりました。
Aさんとは転職した今でも交流があります。
Aさんは私に大きな裁量権を与えてくれました。更に、細かい業務の進め方ではなく、「人としてどうあるべきか」「ビジネスマンとしてどう考えるべきか」というのを徹底的に教えてくれました。
細かいテクニック的なことをAさんから教わった覚えはほとんどありません。ただ、良い仕事をするために、良い人生を生きるために、大事な考え方をたくさん教わりました。
そして、会社のビジョンと、それに伴うAさんと私たちの職場のビジョンを繰り返し私に語ってくれました。
私はAさんの価値観を、考え方を盗もうと必死にAさんの真似をし、Aさんの分身になろうとしました。
Aさんのおかげで、仕事の中で自分の思いを実現していくことの楽しさを知りました。
手前味噌ですが、そのおかげでAさんの下で働いていた期間は凄まじいスピードで成長できたと思っています。
社内でもいろいろな場面で評価していただけるようになり、採用の社内プロジェクトに参加させてもらったり、労働組合の幹部も経験しました。この時に、現在の人事の仕事の下地が少しできました。貴重な経験だったと思います。
そして5年目の時に、5人の正社員と20人のパートタイマーさんを部下に持つ管理職に任命されました。多分、会社史上最速だったっぽいです。
もちろんやる気に満ち溢れていましたし、新たなステージで責任のある仕事ができることに心からワクワクしていました。
順番が前後しますが、4年目の時に大学時代から付き合っていた妻と結婚しています。
妻も私も土日休みではない仕事だったので、一緒にいる時間は普通の新婚夫婦よりやや少なかったかもしれませんが、とても幸せでしたし、今も妻と結婚できたことは私の人生最大の幸運だったと思っています。
話を仕事に戻します。
管理職になった私は、尊敬するAさんのような上司になろうと考えていました。もちろん、初めて部下を持って仕事をしたわけですから、壁にもたくさんぶち当たりました。
部下の理解を得られず、関係が悪化したこともありました。その度に、「Aさんなら、こんな時どうするだろう」と考えては、必死に走り続けていました。
朝の5時ぐらいには職場に来て、夜10時とかに帰るような生活を続けていました。休みの日も必要とあればタイムカード切らずに職場に行って。
自分の部署のことが心配で心配でたまらなかったのですが、今にして思えば、部下を十分に信頼できておらず、それが部下にも言外に伝わっていたのかなとも思います。
家にいても仕事のことばかり考えていたし、たまに職場に行かない休みの日も、他社の研究視察に充てていたりしました。
労働組合の幹部だったくせに、労働基準法ナニソレおいしいの状態で働いていました。
妻は身体のことを心配していましたが、私がやりがいを持って働いている姿を見て、あまり強く止めることもできなかったようです。
先述のとおり、うまくいかないこともたくさんあったので、ストレスも多かったですが、仕事に喜びを見出していた私は、必死に働き続けていました。その時は自分でも苦しいとは思っていませんでした。
むしろ、もともとドM気質な私はそんな状況を少し楽しんでいた節もあったぐらいです。今思えば、若気の至りですね。
メンタルを壊す
さて、そんな感じで猛烈に働きながら1年半ほど経ちました。
そんな折、妻の妊娠が判明します。
めちゃくちゃ嬉しかったです。妻のことは本当に愛していましたし、子どもも欲しいと二人でいつも言っていました。結婚から2年が経ち、そろそろと思っていた頃だったので、二人で3日連続でお祝いパーティをしたのをよく覚えています(笑)
ただ、私たちはその時はまだ、その後に来る試練を想像もしていませんでした。
妊娠して2〜3ヶ月ぐらいまでは妻の体調にはさほど変化はなかったのですが、徐々に「つわり」がひどくなってきます。
「つわり」の重さは個人差が大きいとは言いますが、妻はかなりひどく症状が出るタイプだったようです。
家でも職場でも何度も嘔吐し、ほとんど食事も摂れず、やっとの思いで食べたのにまた嘔吐する。入院して点滴を射ってもらったことも一度や二度ではありません。
本当に辛そうで、かわいそうで、私も苦しむ妻を見ているだけで辛くなりました。
そして、私自身にも変化が起きていました。先述のとおり、私はそれまで猛烈な勢いで働いていました。
妻がそんな状態になっても、いきなりそれを緩めることもできませんでした。私の部署は元々なかなかハードな部署で、本当にギリギリの状態で回しているような感じでしたし、当時は緩めるなんて発想自体が出てこなかったのです。
朝早く家を出て、夜遅く家に帰って。けど今までと違ったのは、妻とくだらないことを言って笑い合う時間が消えたということです。
妻は体調が悪くそれどころではありません。夜も嘔吐して眠れません。私もそんな妻の背中を一晩中さすったりして、2〜3時間しか寝ずに仕事に行くような日々でした。
もちろん妻に何一つ悪いところなど無いのですが、私の心が知らず知らずのうちにボロボロになっていました。
それまでは家で妻と過ごす時間は私にとって、仕事のストレスを忘れ、リラックスして心を休めることができる時間だったのです。
ですが、それが無くなり、心の余裕を持てる時間が私の24時間から消え去りました。
思い返すと、私が仕事人間だったことで、妻にそれまでもたくさん負担をかけてきました。本当に申し訳なかった。
仕事もだんだんうまくいかなくなりました。判断も鈍い、感情が顔に出てしまう、つまらないケアレスミスを連発、このままではダメだと分かっていても、どうしていいかも分からない。自分の手からいろいろなものがこぼれ落ちていくような感覚でした。
もう何も考えられなくなってしまいました。
家に帰れば、妻は体調不良で苦しんでいます。必死に妻を元気づけながら、「あれ?俺何のために仕事してるんだっけ?」と思い、気づいたら涙が出ていることがしばしばありました。
ある日、出社して午前中働いて昼休みの時(昼も15分くらいで昼食済ませるだけで、あとは仕事してました)、昼食が食べられませんでした。
そういえば、その日は朝食も食べていませんでした。
お腹が空いていないわけでもないのに、まったく食欲がありませんでした。
おかしいなと思いながら午後も働いて、夕方にパン(忘れもしない、ソーセージが乗った惣菜パンです)を食べたのですが、味が全くしませんでした。
モソモソと食べている感触だけ。ケチャップとかかかってるのに、味が一切しない。さすがに何かおかしいとは思ったものの、もう自分の身体に何が起こっているのかさえわかりませんでした。
そして、10時ぐらいまで仕事して、車で帰ろうとしたとき、目が霞んで、車がふわふわ浮いているような感覚になりました。
30分ぐらい走って帰るのですが、今思えばよく事故を起こさなかったなと。不幸中の幸いでした。
なんとか家にたどり着きました。妻は寝ているようでした。
私は玄関に上がって、リビングに入ったところでそのまま倒れました。
記憶はあるし意識もあったのですが、身体が全然動きませんでした。
「え?なにこれ、やばい・・・」生まれて初めての感覚でした。
妻は2階で寝ていたのですが、私が弱々しい声で1階で呼ぶ声が聞こえて降りてきました。その時の妻の悲鳴は、今でも覚えています。
妻は救急車を呼ぼうとしましたが、私が意識があって会話はでき、苦しかったり痛いわけではないことを伝えて、とりあえず思いとどまりました。
その日はそのままリビングで妻と寝ました。
そして、朝目覚めた時、やっぱり身体は思うように動きませんでした。起き上がろうとしても、できませんでした。涙がポロポロ溢れて止まりませんでした。上司に電話をし、泣きながら出勤できないと伝えました。
上司は、「会社のことは全部忘れて、休め。俺が責任もってお前が戻ってくる場所は守るから。いつまで休んでもいいから」と言ってくれました。「ああ、もう仕事に行かなくていいんだ」と思ったとき、少しだけ楽になったように記憶しています。
とはいえ、どう見ても正常な状態ではありません。妻は、仕事を休んで私を精神科に連れて行ってくれました。
カウンセリングを受けたのですが、正直何を先生と話したのかは全く覚えていません。
私のカウンセリングが終わったあと、妻が先生に呼ばれました。「何だろうな」と思っていたら、戻ってきた妻の顔は涙でグチャグチャでした。
「どうしたの」と聞いたら「なんでもないよ。大丈夫」とだけ、答えました。
その時の僕には、それ以上妻を心配する余裕もありませんでした。
後から妻に聞いたのですが、その時妻は先生に「何をしでかすか分からない、それこそ万が一の可能性もあるから、一人にしないようにして」という話をされたそうです。
それは怖かったでしょう。自分のパートナーが自殺するかもしれないと告げられた恐怖は想像に難くありません。
妻は3日間仕事を休んで、ずっと私のそばにいてくれました。トイレも一緒に来るぐらい、本当に片時も離れませんでした。
私も薬を飲みながら、少しずつ回復していました。けど相変わらず、食べ物の味はしないし、眠れなかったり、かと思えば起きられなかったり、急に涙がポロポロ出て止まらなくなったりしていました。
私はずっと部屋に引きこもっていましたが、2週間ぐらい経って少し外にも出るようにしました。とはいえ散歩程度に、近所のスーパーに行ったりとかですね。
上司は定期的に連絡をくれていました。Aさんも連絡をくれて、「本当はすぐにでも会いに行きたいが、会うことがお前のプレッシャーになるかもしれない。お前が会いたいと思うまで待つ」と言ってくれました。
本当にありがたいことでした。大事に思ってくれていることも感謝しましたし、正直この時にAさんに会ったりしたら、それこそ涙が止まらなかったであろうことは容易に想像できます。
妻には本当に迷惑をかけました。妊娠して体調不良に苦しんでいた妻を、助けるどころかこのうえない心労を与えてしまいました。
ですが、妻はこう言いました。
「心配だし、悲しいと最初は思ったけれど、仕事から帰ってきたら毎日あなたがいて、元気が無いあなたとでも一緒に過ごせるのはやっぱり幸せ」
本当に、こんな情けない私にこれほどの愛情を注いでくれるのが嬉しくて、一時は確かに「もう消えてしまいたい」と思っていた私は、少しずつですが力を取り戻していきました。
退職
3ヶ月ほど休んだ頃、私はほぼ元通りに回復していました。
食事もしっかり食べられるようになったし、妻から見ても日常生活にはほとんど違和感がないぐらいになりました。
私は仕事に復帰しようと考えました。
精神科の先生の勧めで、通勤訓練をすることにしました。ただ、会社まで行って、帰ってみる。それだけ。会社の中には入りません。
まあ、もうほぼ治ったし、余裕だろうと思って会社に行ってみた私は、思いがけない事態に遭遇します。
会社に近づくにつれて、手が震え、息が苦しくなりました。
会社の駐車場の片隅に車を停めましたが、涙がポロポロ溢れてきて、止まりませんでした。通勤訓練は失敗に終わりました。
それ以外の生活にはまったく支障無いのです。ただ職場に近づくことができませんでした。その後さらに数週間経っても状況は変わりませんでした。
私はなんとなく「ああ、もうこの会社で働くの無理かもしれないな」と思いました。
それに、妻のお腹の中にいる子どもが産まれたあと、前みたいな激しい働き方はできないし、そもそもまた同じことを繰り返す可能性もある。
私は会社をやめようと思いました。
妻に話したら、妻は最初は反対していました。「あなたは今の会社で仕事が楽しそうだった。もう少し考えてみたら?」と言われました。私も悩みましたが、出した結論は変わりませんでした。
今の会社のままで、家族の幸せと仕事を両立できない。そう思いました。
上司と話しました。上司は「俺のせいで本当に済まなかった」と言っていました。でも、私はすべて自分の責任だと今でも思っているし、当時の上司の方には感謝こそすれ、恨みなど全くありません。
むしろ、「俺のせいだ」と面と向かって言ってくれる上司で本当に幸せだったなと思いました。引き止めていただきましたが、私の心は変わりませんでした。
その後、尊敬していたAさんとも面談をしました。私が倒れてから、直接会うのは初めてでした。
Aさんも開口一番に私に謝罪しました。私がこんなに迷惑をかけたのに、謝られるのはおかしな気持ちでしたが、上司の方やAさんは本当に立派な人だなと心から思いました。
Aさんに辞める意思を伝えたときは、やはり涙が止まりませんでした。悲しみなのか、申し訳なさなのか、感情をうまく説明できませんが、泣きながらAさんに謝ったのを覚えています。
そして私は、大好きだった会社を、大好きなまま辞めました。
再就職
そして、会社を辞めてから就職活動をして、私は現職の人事の仕事に就きました。
人事という職種を選んだことにあまり深い理由は無いのですが、私のように仕事を通じて不幸になってしまう人を1人でも減らすことに貢献できないか、と思っていました。
今はまだその想いが叶っているかどうかわかりませんが、妻と娘と一緒に幸せに毎日を過ごせています
前職ほどかはわかりませんが、仕事にもやりがいを持って取り組めています。
拾ってくださった今の会社にも本当に感謝しています。
前職の時と変わったのは、少し早めに自分にブレーキをかけ、心の余白を残しておくように心がけるようになりました。
もう二度と同じ過ちを繰り返したくはないので。
現在
今私はとても幸せです。
本当にすべて、妻のおかげだと思っています。妻があの時支えてくれなかったら、一緒にいてくれなかったら、なんて想像もしたくありません。
たくさん迷惑をかけてしまった。一生かけても返せないぐらい助けてもらいました。
妻はたまに「私なんかと結婚して幸せだった?」と聞いてくるのですが、それはこっちのセリフですよ。
あなたがくれた今の幸せを、全力を尽くしてあなたに返していく所存です。
メンタル壊した経験は本当に辛かったけれど、そのおかげで家族の大切さが骨身に沁みました。人生で一番大切にするものがハッキリとわかったことが、あの経験で得た糧であったと思います。
あと、もしこの記事を読んでくださった方で、仕事が楽しくて寝食を忘れるほど働いている方がもしいらっしゃったら、
是非一度少し立ち止まって深呼吸してみてください。
やりがいを見出して一生懸命働くのは本当に素晴らしいことです。
ただ、自分でも気づかないうちに心身の疲労は身体を蝕みます。「やばいかも」と思ったときには手遅れなのです。
休むことも仕事のうちです。全力で仕事に取り組んだ結果として、その仕事を失ってしまうような経験をする人が減って欲しいと願っています。
常にフルパワーではなく、余白を少し残しておいてください。
それが大好きな仕事を長く続けられるポイントです。
これでこの記事は終わりになりますが、思い出しながら書いていて何度か涙が出てきてしまいました。
立ち直れたことに感謝し、助けてくれた妻にもう一度心から感謝して、締めくくろうと思います。
本当にありがとう。
おわり
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