付加価値のある業務ってなんだろう。
最近は人事の業務でも、IT化が進んでいる。TwitterではHRBPとか戦略人事とか、そういう言葉が目立つ。そんな中で「付加価値のない業務はやめて、もっと付加価値の高い業務に時間を使いましょう」と言うような言葉を聞くことがある。これは私の周りでも実際にある。
言わんとする事はとても理解できる。実際、私もそれに近い考えは持っているし、自動化やプロセス改善などで無くせる業務はどんどん無くしていきたい。
一方で、少し思うところがある。
付加価値とは
そもそも付加価値ってなんだろうか。会計的に言えば売上総利益、いわゆる粗利のことなのかもしれない。
ただし、人事の業務で付加価値と言うときには、その定義では当てはまらないことも多いように思う。もう少しやんわりとした定義が必要そうだ。人によっていろいろ考えがあると思う。私はといえば、その仕事をやめたときに誰かが困るかどうかで付加価値の有無を判断している。やらなくても誰も困らない仕事であれば、それは付加価値を生んでいるとは言えないということだ。
「付加価値がない」って強い言葉
ちなみに、私はこの「付加価値がある/ない仕事」と言う言い方は基本的に好きではない。自分の中で考える言葉なら良い。というか私も普段はよく考えている。この仕事って付加価値があるだろうか。この仕事はどうだろうか。そんなことを考えながら仕事をしている。
ただこれが他人の仕事に向けられるとなると話は別である。私がよく目にするのはそういう場面が多い。上司が部下に向かって、先輩が後輩に向かって。あなたのやっている仕事には付加価値がないと。ここまでストレートな物言いではなくても、暗にそう言っているのをよく見る気がする。
そして、すごく相手の、少し大げさに言えば尊厳を傷つけているんじゃないかと思う。多くの会社員にとって、会社は重要なコミュニティだ。人間関係が希薄化しつつあるとはいえ、日中の大部分を過ごすコミュニティだ。それなりに重い位置づけのはずである。
そんな、自身の所属するコミュニティーの中で自分の仕事に付加価値がない。言い変えれば、あなたの存在価値がないと捉える人もいるかもしれない。それが相手をどれほど傷つけるかは想像に難くない。
付加価値のある仕事、ない仕事
先ほど、私はやめても誰も困らない仕事を付加価値がないと定義した。この定義で言えば、割と多くの仕事は付加価値があるのではないだろうか。
世の中でよく言われる「付加価値のない仕事」とは自動化できるとか、ちょっと仕組みを変えることでやらなくても良くなる仕事だったりする。私はそういう業務を改善するのが好きだ。自動化するのも好きだ。実際、ちょっとの工夫でやらなくて良くなる、つまり付加価値がなくなる仕事もたくさんあるとは思っている。
ただ、それはあくまで何かしらの工夫を加えたら…の話だ。そんな仕事でも、現行のシステムでは、やらなければ誰かが困る仕事の場合が多い。少なくとも現時点では、その仕事に付加価値はあるのだ。これを勘違いしている人が多い気がする。本当に付加価値がないのなら、今すぐその仕事をやめても誰も困らない。もしそうなら、すぐにやめたらいいと思う。
他人の仕事を付加価値がないと言う強い言葉で断じるからには、自身で自動化できる、やらなくても困らない状態にできると言うことが大前提だ。それを相手に丸投げして、「付加価値がない仕事はやめろ」としか言わないのなら、それは想像力に欠けている。相手には相手の事情があるのだ。自分で自動化や改善をきっちりやれる人ほど、そんなことは言わない。
自分でできないのであれば、少なくとも今の時点では付加価値がある仕事をやってくれている人に対して感謝し、それから改善の方法を一緒に考えるというのが筋ではないかなと思う。
付加価値のある/ない仕事を考えることが悪なのではない。むしろそれは推奨されるべきことだと思う。一方で、他人の仕事に「付加価値がない」という言葉を向けるのには十分に配慮すべきだ。そんな言葉を乱発するのは、私から見ると業務効率化をはき違えた、ただの傲慢である。
おわり
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